琵琶湖に浮かぶ島「竹生島」がパワースポット過ぎる件(滋賀県)

都久夫須麻神社拝殿から見る竜神拝所

琵琶湖に浮かぶ聖地「竹生島」

琵琶湖に浮かぶ聖地「竹生島」は2016年に日本遺産に登録されており、聖武天皇が夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」とのお告げを受け、行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させ、弁才天像を安置したのが竹生島信仰の始まりとされ、「竹生島宝厳寺」、「都久夫須麻神社」があり、明治の神仏分離で別れたものの、元は神仏習合の島で「竹生島弁財天社」と呼ばれ、日本三大弁天の一つに数えられ、江島神社(神奈川)、大願寺・厳島神社(広島)と並ぶ存在とのことです。

「竹生島」上陸場所

竹生島宝厳寺 本堂(弁財天堂)へ

上陸し、祈りの階段と名付けられた165段の階段を登ると宝厳寺本堂に着きます。竹生島は全体が花崗岩の一枚岩からなり、切り立った崖に囲まれ、周囲約2㎞の島になります。祈りの階段の石段に使われた御影石や、寺の伽藍の大きな柱・部材の一つ一つは、すべて島の外から運ばれてきたもので、石段脇には、寄進した人の住所や名前が彫られ、危険をかえりみず建物を築いた人々の想いが込められているとのことです。

現在の宝厳寺本堂は昭和17年に再建されていますが、日本三大弁天の中で最も古い歴史があり、本尊の弁才天は秘仏で普段は非公開となりますが、60年に1度公開され、次回の開帳は西暦2037年とのことです。

宝厳寺本堂(弁財天堂)

本堂左右には「宇賀弁才天座像」があり、弁才天は人の穢れを払い「富貴・名誉・福寿」「愛嬌縁結びの徳」「子孫」を恵み、「音楽・智恵・財物」の神ともされています。弁才天座像の周辺には「弁天様の幸せ願いダルマ」があり、手に琵琶を持ち、一つ一つ手書きで描かれ、願い事を書いた紙をダルマの中に収めて奉納することで願掛けができます。

国宝「唐門」

宝厳寺観音堂へつながる入口となっている唐門は、京都東山の豊国廟の唐門または極楽門を移築したと伝わり、極楽門が大坂城から豊国廟へ移築されたという話があり、豊臣秀吉時代の大坂城の唯一の建物と考えられているとのことです。桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとし、金鍍金の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻、二枚の大きな桟唐戸や壁には牡丹唐草の彫刻を極彩色塗りとして飾られてあり、6年かけて2020年に修理保存事業を終えています。

宝厳寺観音堂から都久夫須麻神社本殿をつなぐ舟廊下

全長30mの舟廊下は豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に使った御座船「日本丸」の船櫓の材料で建てられたといわれており、傾斜地に建てられているため、舞台造りが土台に取り入れられているのが特徴とのことです。桁行八間の低屋根と桁行二間の高屋根に分かれ、天井は垂木を見せる勾配形の化粧屋根裏で、柱間に連子窓が配されています。

舟廊下の舞台作り

都久夫須麻神社本殿

都久夫須麻神社の祭神は「市杵島比売命」「宇賀福神」「浅井比売命」「龍神」の四神です。市杵島比売命は、別名 竹生島大神で弁才天と同神とされ、日本三大弁天はこの神が祀られています。宇賀福神は前述の宇賀弁才天の頭頂部に乗るように諸説あるものの弁才天と習合した神とされているとのことです。浅井比売命は「承平縁起」によると、現在の滋賀県伊吹山の神 気吹雄命と金糞岳(説)の神 浅井比売命が高さ比べをし、浅井比売命が一夜にして高さを増したので、負けた気吹雄命が怒って浅井比売命の首を斬ったところ、その首が湖に落ちて竹生島になったとされており、首が沈む時に「つふつふ」という音がしたので「都布失島」という名前になったとも、行基が神に誓願して竹杖を立てたところ竹が繁茂したので「竹生島」と呼ぶようになったともいわれているとのことです。また「承平縁起」では、日本の国土がまだ固まっていなかったときに大己貴命と久延産命が龍神に命じて、国土を五つの神杭に結び、この五つの神杭は富士山・金華山・江ノ島・厳島・竹生島といわれ、竹生島は日本の「霊之本津国」(ひのもとつのくに)の根源の一つだったとのことです。

「都久夫須麻神社」本殿

龍神が鎮座している竜神拝所は、本殿の向かいにあり、「八大竜王拝所」といわれ、八大竜王は、仏教を守護する8体の龍神のことで、雨や水を司る神とされています。また、この拝殿では、平経正が木曽義仲追討の副将軍として北陸道へ下る途中、琵琶を奏でたところ、白龍が現れたとの逸話があり、経正は湖岸から沖に浮かぶ島を見て、「あれは何という島か」と尋ね「あれが名高い竹生島です」と教えられると、小船で渡り、竹生島弁才天で戦勝祈願し、十八夜の月のもと、琵琶の名手と言われていたため、僧に請われるまま、秘曲「上玄石上」を奏で奉納し、経正の袖の上に白龍が姿を現したとのことです。経正は感動し、「ちはやふる 神にいのりの かなへばや しるくも色の 表れにける」の和歌を残したとのことです。

竜神拝所
「月百姿」「竹生島月」「経正」所蔵:National Museum van Wereldculturen

その他の見どころ(三重塔、もちの木)

一番高い場所にある三重塔は、高さは15.5m、一辺は3.2mで、江戸時代初期に焼失したと言われているものの、2000年に復元され、内部の四本柱には、32体の天部の神々が描かれ、四方の壁には真言宗の八人の高祖が配されているとのことですが、耐久性の問題から内部は公開されていません。

三重塔のそばにある「もちの木」は、1602年観音堂、唐門、渡廊下を移築した際の記念として、豊臣秀頼の後見役で、賎ヶ岳合戦七本槍の一人 片桐且元が手植えしたものとのことで、秀吉亡き後に徳川家康により豊臣色を薄める政策がとられ、その一連の流れのなかで、豊国廟の縮小を余儀なくされた秀頼が、その遺構を残すべく片桐且元に移築の命を与えたことが、この島に豊国廟のものが残されている背景とのことです。

三重塔
もちの木

過去から崇敬されてきたことがうかがえる琵琶湖に浮かぶ「竹生島」は、パワースポットと呼ぶにふさわしい様々なものが残されています。竹生島には今津港もしくは長浜港から「琵琶湖汽船」の船で渡ることができます。







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