日帰りで巡る木曽義仲公ゆかりの地(東京発)

源氏の血を引き、現在の埼玉県で源義賢の子として生まれた駒王丸(木曽義仲)は、2歳の時に父が源義平に討たれ、畠山重能、斉藤実盛らに助けられています。乳母の夫とも言われる木曽の中原兼遠のもとで27歳の旗挙げまで過ごしたため、木曽義仲と名乗り、現在の長野県木曽町に多くのゆかりの地があり、東京から日帰りで巡ることができます。

(京王バス)バスタ新宿07:45→福島関所12:06→興禅寺→(JR)木曽福島駅13:04→宮ノ越駅13:13→義仲館→徳音寺→巴が渕→南宮神社→旗挙八幡宮→(JR)宮の越駅14:34→原野駅14:37→林昌寺→(京王バス)日義木曽駒高原15:49→バスタ新宿20:05(2022年1月現在)

到着地 福島関所から興禅寺

福島関所は、中山道の要衝として約270年間、治安維持のため江戸に持ち込まれる鉄炮、江戸屋敷に人質として置かれた大名の妻女が領国に脱出(出女)するのを取り締まった場所で、箱根、新居、碓氷と並び、天下の四大関所の一つに数えられる場所になります。

その場所から約徒歩10分で「興禅寺」があり、興禅寺は巴御前により木曽義仲の遺髪が納められたとされる供養塔がある場所になります。

木曽義仲供養塔
義仲が植えたとされる時雨桜(2代目)
看雲庭

木曽家12代信道が義仲の追善供養のため建長寺開山蘭渓道隆の子孫太華和尚を招いて荒廃する寺を再建しています。義仲が植えたとされる時雨桜もあり、一度焼けたものの残った根から成長した2代目とのことです。木曽三大寺(興禅寺、長福寺、定勝寺)の一つとも言われ、木曽家の菩提寺となっています。また境内には石庭として広さ日本一とされる看雲庭をはじめ万松庭、昇竜の庭、須弥山の庭があります。

木曽福島駅から宮ノ越駅

宮ノ越駅から徒歩約5分の場所に「義仲館」があります。義仲と巴を後世に語り継ぐ資料館というコンセプトで、2人の像が入り口に建てられています。

義仲館入口 木曾義仲と巴御前の像

更に徒歩約5分の場所に「徳音寺」があり、木曽義仲が母 小枝御前の菩提を弔うために創建したといわれ、義仲の文官で倶利伽羅峠での必勝祈願文を八幡宮へ奉納した覚明上人が義仲の亡骸を当地に移し埋葬したとのことです。小枝御前、中原兼遠の子樋口兼光、今井兼平、巴御前の墓と共に祀られています。

境内の巴御前の像の横には「つらぬき石」があり、その石の穴は義仲と共に野駆けに赴いた際に馬の蹄で貫いた穴といわれ、溜水で手を清め巴御前の墓前で祈念すると願い事が叶うとのことです。

木曽義仲、小枝御前、樋口兼光、今井兼平、巴御前の墓
巴御前の像と手前にある「つらぬき石」

そこから徒歩約15分の場所に「巴が渕」があり、巴状に渦が巻き、ここに住む龍神が化身して巴御前となり中原兼遠の娘として木曽義仲を助けたとの伝説があり、巴御前が水浴し武芸を練った場所といわれています。

巴が渕

また徒歩10分ほどで「南宮神社」があります。木曽義仲が中原兼遠に連れられ京に上った時、密かに源氏信仰の本拠である大社から請い受け分祠したものとのことで、義仲の戦勝祈願所といわれています。近くの旗挙八幡宮分も含めて御朱印、お守りが買える場所になっています。

南宮神社 鳥居

拝殿と奥は雪のため凍る「旭の滝」

「旗挙八幡宮」は木曽義仲の館跡とされ、城を構えた際に八幡宮を祀り、1000余騎を従え平家打倒の挙兵をした場所からも「旗挙八幡宮」とされています。社殿横の欅は義仲の元服を祝って植えられたといわれ、樹齢800年を超え、落雷、台風がありながらも御神木として生き続けているとのことです。この一帯は木曽四天王といわれた、根井行親、樋口兼光、今井兼平らの屋敷があったともいわれており、木曽義仲公館趾と刻まれた碑があり、義仲は元服後、中原兼遠のもとを離れてここに住んだとのことです。

旗挙八幡宮鳥居と左奥樹齢800年超の欅
木曽義仲館跡碑

宮ノ越駅から原野駅

原野駅から徒歩約5分で「林昌寺」となります。林昌寺は中原兼遠の菩提寺で、兼遠は義仲旗挙げ後、円光と称して出家し、義仲を見届け終えるように翌年に亡くなったとのことで自ら開基のこの場所に眠っています。

中原兼遠墓
林昌寺入口

その後余裕があれば、原野駅周辺には「中原兼遠屋敷跡」とされる場所(義仲元服の松、兼遠塚)があり、兼遠が義仲の学問のために勧請、義仲が手習いをしたことから「手習天神」と呼ばれる場所もあります。強行軍ではありますが、バス、電車を活用して主な場所を東京からでも日帰りで巡ることが可能です。







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